宝仙寺では紫陽花に続いて早くも蓮の花が咲き始めました。年々暑さが厳しくなっていますので、今年の夏も心配です。                                      世界の平和を誰もが望んでいることは当たり前のことですが、現在の状況は悪い方にどんどん進んでいるように感じます。それぞれの国がやりたい放題で歯止めが利かない状態です、その状態を見ている国の中にはここぞと思っているところがあるでしょう。国際連合とかグローバルな結びつきの政治経済とかは何処に行ってしまったのでしょう、世界の政治経済はこれだけグローバルな結びつきを持っている現在、世界はどの方向に進むのでしょうか。我が国の国会では、関税問題・物価高・減税措置等のことばかりで、戦争に関することも含め重要な問題が他にもたくさんあると思いますが、与野党とも議論をしているのでしょうか、我が国の行く末を真剣に議論してほしいと思います。

 7月は宝仙寺ではお施餓鬼とお盆が行われます。                                                                      お施餓鬼は、阿難尊者が焔口餓鬼(えんくがき)からお前は餓鬼道に堕ちると聞かされ、お釈迦さまにどうすれば餓鬼道に堕ちずに済むか聞いたところ、供養物(お米などの供物)を秘密加持の力により、限りなき功徳を生ぜしめ、五如来に帰依し三宝を供養し、これを餓鬼に施すことにより、阿難尊者が餓鬼道に堕ちるのを免れるだけでなく、この功徳により一切の餓鬼も救われ、私達も身も心も安楽となるのだから、他の人にも広く弘めてこれを行わしむる事が良いとおっしゃったという事です。従って、お施餓鬼は時期が決まっておりませんので各お寺によって日時が違っております。お盆は、盂蘭盆(うらぼん)と言ってインドの古い言葉サンスクリット語から来ております。                                                                   お釈迦様の弟子の目連尊者が神通力を使って亡くなった母親の様子を見たところ、餓鬼道に堕ちて骨と皮ばかりになって苦しんでいるのを見て、お釈迦様に何とか母を救う方法はないかと尋ねたところ、餓鬼道に堕ちたのは物を惜しんだからであるから、これを救うには物を人に施すほかはないということで始まったと言われています。夏の時期、雨が多く毒虫などが多いので、僧侶は外出せず静かに勉強と瞑想をしている時期が終わる7月15日に僧侶を招き盛んに供養を行いなさいとお釈迦様にいわれました。この行いにより目連尊者の母親は救われたということから、お釈迦様が目連尊者に他の親を思っている人達にも広めなさいということで始まったと言われております。                                                                   日本では月遅れの8月に行うところが多いですが、東京では7月に行っております。お施餓鬼は、慈悲の心から広い気持ちで多くの者を救おうというものです。お盆は、孝行の気持ちから起こっており、親をご先祖様を大切に考えるものです。昨今、自分勝手な考えや事件が横行していますが、お施餓鬼・お盆はどちらも利他の精神を表す素晴らしい行事だと思います。          

 令和7年7月

                                           宝仙寺住職 富田道生                      

メコノプシス、高山に咲くブルーポピーで清里の清泉寮で撮影